2019/05/09
予期せぬトラブルが発生した時、慌てず騒がず適切な対応をとることが出来ますか? 今日はいかに、この危機対応能力を上げるかという事を、半年前に韓国でおきたフェリー転覆事故の話を踏まえて、皆様にお伝えしていきたいと思います。
(写真は転覆、沈没しつつあるセウォル号)
実は僕は20代の全てを船の上で過ごしました。職業は船乗りです。かっこいいとか思われるかもしれませんが、実際は仕事がうまく出来ずずっと悩んでいました。特に最初の頃は毎日、船長に怒鳴られノイローゼになりそうでした。でもそんな僕でも20代後半には、船体と貨物の安全管理を一手に担う一等航海士となり液化天然ガス運搬船や巨大原油タンカーで働きました。すると今度は船長の怒鳴り声よりも、仕事のプレッシャー、重圧に押しつぶされそうになりました。実際に、大惨事の一歩手前と程のトラブルを何度も経験しました。でもこのおかげなのか、僕は、いきなりやってくる想定外の危機への対応に強くなったんです。それは諦めるという事がとても簡単にできるようになったからです。
危機対応能力というものを、振りかかった災難をパッ、パッとかわしていく瞬発力だと考えいる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は違うと思います。トラブル前の状態にはもう戻れないとスパッと諦めて、いわば破壊された現状を現実のものとしてしっかり受け止める力。これが危機対応能力だと思うのです。
たとえ話をしましょう。繁華街を一人で歩いていたら、突然見知らぬヤクザ数名に囲まれたとします。その時、多くの人が、(これは何かの間違いだ。人違いに違いない)とか、(警察が通りがかりヤクザ達がいなくなってくれないかなぁ)とか思いますよね。トラブルが起きる前の状態に戻る事を諦められない状態なんです。かといってマンガの世界の様にヤクザをバッタバッタなぎ倒したり、あるいは機転がきいた一言でヤクザを納得させるなんて瞬発力に期待してもいけません。やるべき事は、ヤクザに囲まれた事実をシッカリ受け入れた上で、どうすればやられずに済むか、殺されずに済むかを冷静に考えることなんです。相手の目的を見極めてお金を差し出すのも良いでしょう。近くに人がいれば大声で助けを呼ぶのも良いかもしれません。
危機対応が諦める力であるという事をお伝えしたところで、それではいよいよ、先日の韓国のフェリー沈没事件を例にとって、僕の元船員としての目線も交えながら、皆さんと一緒に振り返ってみたいと思います。
実は、船が傾き浸水を始めた時点で、船長以下主な乗組員は、沈没が避けられない事に気付いていました。にもかかわらず乗客に対しては、みなさんご存知の通り、船内に留まる事を再三にわたりアナウンスしています。でも一体なぜそんな事をしたのでしょうか? テレビの報道ではこのことが一様に批判されていましたが、何故?という視点はありませんでした。
その何故?を解くうえで鍵になる事実があります。セウォル号の救命いかだが全く使い物にならなかったという事です。本来救命いかだは、船の甲板上に円筒形のプラスチックケースに収まった状態で固定されていますが、船が浸水すると固定具が水圧で自動的に船から離れ、プラスティックケースからいかだが飛び出して膨張し、すぐに使えるようになります。
ところがセウォル号の場合には、その固定具が長年にわたって整備されず錆びついて固着し全く動かない状態だったのです。そして船長以下全員がそれを知っていた。だからこそ、船から第一報を伝えた通信士が、助けに来る救助艇の到着時刻だけをしつこく聞いていたのだと思います。
さて、ここでみなさん考えてみて下さい。もしあなたがセウォル号の船長であれば、あの時沈みゆく船の乗客にどういうアナウンスをしますか?船は沈みつつありますが、船に積載されている救命いかだや救命ボードは使い物になりません。 しかも救助はいつ来るかまだ分からない状況です。自分が船長になったつもりで考えて下さい。
おそらく「ライフジャケットを付けてすぐに海に飛び込む様に指示する!」と考えた方が多いと思います。テレビでもコメンテーターが「なぜ飛び込ませない」と怒ってましたね。
でもちょっと待ってください。その前に皆さんに知っておいて頂きたい事があります。船乗りであればだれでも知っている知識として、陸から離れた海上において救命いかだもなく、単身で海に飛び込むという行為が、いわば自殺行為といっても良いほど非常に危険であり、仮にライフジャケット着用でも生存して救助される確率はそれほど高くないという事です。
生きている人間が海に沈むと頭だけしか浮きません。皮肉な事に死ぬと全身が浮くので見つけやすくなるのですが、海上に浮かぶ人の頭はオレンジのライフジャケットを付けていても、少しでも離れればすぐに見失います。加えて、事故当時の海水温度は4月とはいえ11℃だったそうです。空気中と比べて体温が数十倍の速さで奪われる水中において11℃というのは、おそらく飛び込んだ人の約半分は数時間程度で亡くなります。なおかつダイバーさえ寄せ付けないほどの潮の流れで、あっという間に沈没地点から流されて散り散りになるはずです。
ですので、もしあなたが船長で、乗客に対して海に飛び込む指示を出すのであれば、その時点で多くの乗客が亡くなる事を覚悟、諦めなければ、そんな指示は出せないんですよ。
あの船長が、全く同情の余地のない極めて悪質な船員であった事は疑う余地もありませんが、ただ僕は、あの時彼は、おそらく船が沈む前に救助艇がやって来て、船室で待っている乗客を全員救助してくれることを諦らめきれなかったのだと思うのです。だからこそ、彼にとっては、乗客が傾いた甲板に出て怪我をしたり、海に飛び込まれることは避けたかった。それであのアナウンスになったと思うのです。つまり彼は諦めきれなかったからこそ危機対応を誤ったと言えるのです。
では、結局どうすれば一番良かったのか? という事ですが、僕が言えるとすれば、あの状況では乗客の全員救出は、早い段階であきらめなければならなかった事。その上で、少しでも多くの人が生存救助される様、やはりあるタイミングで全員海に飛び込む指示を出さざるを得なかったでしょう。しかし、頭ではわかっていても、必ず多くの乗客が亡くなるという前提の指示を早期に出すというのは、相当な「諦める力」が必要であった事は間違いありません。
一般的には諦めるという言葉にはネガティブなイメージがあります。でも危機対応能力とは諦める力であると僕は思います。何故なら諦めるという行為が危機対応において最も困難な部分だからです。
トラブルが起きた時、完璧を目指すのはもうやめて、現実主義を貫いて下さい。でないと完璧どころか本当の最悪の事態が待ち構えています。辛い事ですが諦めるべきものをできるだけ早く諦め、そして優先順位の高いものに、限られた時間とエネルギーを集中する事が出来れば、結果はおのずとついてくるものだと思います。