2019/05/09
僕の青春時代は、叱られた思い出と共にあります。10代後半から20代、多くの若者が人生の幸せを謳歌しているとまでいかなくても、友人との旅行や週末のデート等楽しい時間を過ごしている中、僕は叱られ続けました。特に商船大学時代には、隔離された寮生活の中で、激しく叱られ、怒られ、時には罵倒されたりもしました。
でも今となっては、そういった経験を、悔しさではなく、良かったなぁという気持ちで振り返る事ができます。それは、厳しい環境に負けずに頑張った結果、中途半端なプライドや自尊心を捨て、自分自身をより厳しい目で見れるようになったからです。そしてなにより、その後船乗りになり、危険な作業において上司や現場作業員から本気で叱られた時に、ひるまず素直に受け入れる力、いわば『叱られる基礎体力』を身に着けたからです。今日はそんな学生寮での青春時代の苦い思い出をお話したいと思います。
僕は高校を卒業するまではぼーっとした無気力な人間でした。やりたい事もなければ、かなえたい夢も特にない。4人兄弟の3番目だったからか、親からも特に期待されず、ぼーっとしていても特に叱られる事はありませんでした。そんな時、たまたまテレビに出ていた帆船 日本丸がかっこよく見えて、どうしたらこれに乗れるのだろうと調べたら、商船学校に入れば半年間日本丸にのって外国に行けると知り、そこから頑張って勉強してギリギリで東京商船大学に合格したのです。しかし、その極めて単純な動機から商船大学に入ってしまったのが運の尽きでした。そこで僕を待っていたのは、すさまじい寮生活だったのです。
(写真は帆船日本丸とカッター訓練)
その当時は全寮制、つまり入学と同時に寮に入ることが義務付けられ、入学手続きの最後に、くじ引きで寮の部屋を選ばされました。部屋は4人相部屋、しかも4年生から1年生まで各学年一人ずつの縦割り。畳10畳ぐらいの縦長の部屋で入口を入ってすぐ左右に2段ベッドが並んでます。その隙間の30cm程度の通路を通って奥には学習机がどんどーん2つずつ並び、真ん中にちゃぶ台があるだけの本当に狭いスペース。そこに男4人が生活するのです。24時間365日プライバシーというものはありません。特に1年生のうちは凄まじい厳しさです。
朝誰よりも早く5時から起きて、部屋掃除と食器洗い、共同トイレの掃除、それが終われば6時からカッター訓練という、木造救命艇を、太くて重い(重さ10kg!)木製オールで1時間も漕ぐ訓練、フラフラになりながら授業を受け、部活が終わって食事をしシャワーを浴びて部屋に戻れば、夜7時からは10種類以上ある、校歌や寮歌を歌う指導があり、揚句に部屋にかえると、上級生の友達が集まって、「おい、酒買ってこい」と宴会が始まるので酒とつまみの買い出しとセッティングに追われ、始まれば酒の肴にイジラれ、締めのラーメンはもちろん汁も全て飲み干し、上級生が寝た後に部屋を片付けて、一番最後にミシミシ動く2段ベッドの上に音を立てないように気を使いながら上がって寝るのは深夜遅く。昼間疲れても、上級生が部屋にいれば昼寝もできず、上級生の友達がくればお茶を入れてもてなし。
そんな中で、挨拶から始まって気配り、目配りを徹底して叩きこまれました。中学高校と友達も少なく、アルバイトをした経験もない、一般常識もなければ、人との会話ですらままならない僕にとって、それは衝撃的な経験でした。
当時僕は、人の会話についていくのがとても苦手だったのですが、それでは怒られるので、先輩方の会話に必死で頷きながら聞いているフリをよくしましたが、知ってか知らずか上級生から突然話を振られて全く何も答えられず、「アホボケ」と罵倒された事もしばしばでした。一方で、僕の同期は小さいころから船乗りを目指し、船の上下関係、寮生活についてある程度わかって覚悟した上で入ってきた者が多く、そういう同期は厳しい上下関係をうまく立ち回り、上級生からも認められていました。 僕の立場はとてもつらかったのですが、身近な先輩や同期たちへの憧れ、そしてこのままでは絶対だめだという強い危機感のおかげで、僕が寮生活をやめずに続けることができたと思います。
あの寮生活で、今まで自分の本当の姿を見えにくくしていた、余計なプライドや自尊心が無理やりそぎ落とされ、僕は生まれた初めて、まるで鏡でもみているかのように、自分のありのままの姿、ありのままの実力を見つめる事ができたのです。
加えて、少々厳しい事を言われてもひるまない、いわば『叱られる基礎体力』を身に着けました。そしてそれは、船乗りになった時に大いに役立ちました。その時の話はまた後日お話させて頂きたいと思います。
でも今となっては、そういった経験を、悔しさではなく、良かったなぁという気持ちで振り返る事ができます。それは、厳しい環境に負けずに頑張った結果、中途半端なプライドや自尊心を捨て、自分自身をより厳しい目で見れるようになったからです。そしてなにより、その後船乗りになり、危険な作業において上司や現場作業員から本気で叱られた時に、ひるまず素直に受け入れる力、いわば『叱られる基礎体力』を身に着けたからです。今日はそんな学生寮での青春時代の苦い思い出をお話したいと思います。
僕は高校を卒業するまではぼーっとした無気力な人間でした。やりたい事もなければ、かなえたい夢も特にない。4人兄弟の3番目だったからか、親からも特に期待されず、ぼーっとしていても特に叱られる事はありませんでした。そんな時、たまたまテレビに出ていた帆船 日本丸がかっこよく見えて、どうしたらこれに乗れるのだろうと調べたら、商船学校に入れば半年間日本丸にのって外国に行けると知り、そこから頑張って勉強してギリギリで東京商船大学に合格したのです。しかし、その極めて単純な動機から商船大学に入ってしまったのが運の尽きでした。そこで僕を待っていたのは、すさまじい寮生活だったのです。
(写真は帆船日本丸とカッター訓練)
その当時は全寮制、つまり入学と同時に寮に入ることが義務付けられ、入学手続きの最後に、くじ引きで寮の部屋を選ばされました。部屋は4人相部屋、しかも4年生から1年生まで各学年一人ずつの縦割り。畳10畳ぐらいの縦長の部屋で入口を入ってすぐ左右に2段ベッドが並んでます。その隙間の30cm程度の通路を通って奥には学習机がどんどーん2つずつ並び、真ん中にちゃぶ台があるだけの本当に狭いスペース。そこに男4人が生活するのです。24時間365日プライバシーというものはありません。特に1年生のうちは凄まじい厳しさです。
朝誰よりも早く5時から起きて、部屋掃除と食器洗い、共同トイレの掃除、それが終われば6時からカッター訓練という、木造救命艇を、太くて重い(重さ10kg!)木製オールで1時間も漕ぐ訓練、フラフラになりながら授業を受け、部活が終わって食事をしシャワーを浴びて部屋に戻れば、夜7時からは10種類以上ある、校歌や寮歌を歌う指導があり、揚句に部屋にかえると、上級生の友達が集まって、「おい、酒買ってこい」と宴会が始まるので酒とつまみの買い出しとセッティングに追われ、始まれば酒の肴にイジラれ、締めのラーメンはもちろん汁も全て飲み干し、上級生が寝た後に部屋を片付けて、一番最後にミシミシ動く2段ベッドの上に音を立てないように気を使いながら上がって寝るのは深夜遅く。昼間疲れても、上級生が部屋にいれば昼寝もできず、上級生の友達がくればお茶を入れてもてなし。
そんな中で、挨拶から始まって気配り、目配りを徹底して叩きこまれました。中学高校と友達も少なく、アルバイトをした経験もない、一般常識もなければ、人との会話ですらままならない僕にとって、それは衝撃的な経験でした。
当時僕は、人の会話についていくのがとても苦手だったのですが、それでは怒られるので、先輩方の会話に必死で頷きながら聞いているフリをよくしましたが、知ってか知らずか上級生から突然話を振られて全く何も答えられず、「アホボケ」と罵倒された事もしばしばでした。一方で、僕の同期は小さいころから船乗りを目指し、船の上下関係、寮生活についてある程度わかって覚悟した上で入ってきた者が多く、そういう同期は厳しい上下関係をうまく立ち回り、上級生からも認められていました。 僕の立場はとてもつらかったのですが、身近な先輩や同期たちへの憧れ、そしてこのままでは絶対だめだという強い危機感のおかげで、僕が寮生活をやめずに続けることができたと思います。
あの寮生活で、今まで自分の本当の姿を見えにくくしていた、余計なプライドや自尊心が無理やりそぎ落とされ、僕は生まれた初めて、まるで鏡でもみているかのように、自分のありのままの姿、ありのままの実力を見つめる事ができたのです。
加えて、少々厳しい事を言われてもひるまない、いわば『叱られる基礎体力』を身に着けました。そしてそれは、船乗りになった時に大いに役立ちました。その時の話はまた後日お話させて頂きたいと思います。