2020/12/08
皆さんは、身近な人が、末期癌など治らない病気で入院されている時に、見舞いに行かれて、つらい思いをされた経験はありませんか?
死を前にした本人に対しては、「頑張って」「きっと治るよ」といった安易な励ましは通じません。どんなに明るい言葉でその場を取り繕っても、苦しむ人の助けにはなりません。
身近な人が終末期を迎えた時、恐れることなく、寄り添いながら看取ることができるよう、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみませんか?
最近読んだ、本にこんなエピソードがありました。
心肺停止で救急搬送された80代男性。救急搬送された場合、医師は例え助かる見込みがなくても、家族からもういいですと言われるまで心肺蘇生を続けます。心臓マッサージを行う医師の傍らに、男性の奥様がやってきます。奥様には、もうすでに男性が助かる見込みがないことは告知されています。
ところが、その奥様は、心臓マッサージを自分に代わってくださいと言うのです。
通常であれば、まずありえないのですが、その時の現場スタッフは、それを許可します。奥様はスタッフ教えられたとおりに、心臓マッサージを始めます。そして満足そうに微笑みながら、夫に語り始めたのです。
「お父さん、あんたは、な~んにも自分のことができんかったけん、あたしがずっと一緒におってやったとよ。しまいにゃ心臓すらあたしが動かしちゃらんといかんごになって、情けなか人やねぇ。でもね、あたしは幸せやった。楽しかった。覚えてるとね、中洲であんたが喧嘩したときのこと・・・」
心臓マッサージを続けながら語りだした奥さんをみて、救急スタッフは全員だまって処置室をでました。こうして、処置室は妻と、死を迎えつつある夫だけになりました。
それから10分後、奥さんが出てきました。そして、救急スタッフ全員に深々と頭を下げて、こう言いました。
「ご迷惑をおかけしました。もう結構です。」
奥さんの目には涙のあとが残されていましたが、しかし満足そうな笑みを浮かべていました。
皆さんお分かりかと思いますが、この奥様は、命を助けるために心臓マッサージを続けたのではありません。旦那様との人生を振り返りながら、二人の絆を深めながらお別れをしていたのです。
それを理解し、奥様の思うようにさせてあげたこの救命救急のスタッフ本当に立派だと思います。
私は、仕事柄、多くの終末期の人たち、そしてご家族と深くかかわって来ました。そして今は、高齢者が在宅等で人生の最期まで生活を送ることを支援する事業にもかかわっています。
そんな中、先日、こんなケースを体験しました。
大腸がんの術後、肺への多発転移で余命2ヶ月の70台男性の、私の勤める高齢者施設への入所打診が、入院中の病院よりありました。病院医師から本人と家族へ、
「多発転移により、肺の機能が著しく低下しており、もって2ヶ月です」
という告知を、すでにされていたようです。
私は病院に面談に行きました。本人は昔気質の無口なお父さんという感じの方でしたが、私が希望をお聞きすると「家に帰りたい。最期は家で死にたい。」と言われていました。
奥様と娘様は、告知を受け入れていると言いながらも、「お父さんには頑張って1日でも長く生きてほしい。病院には、出来るだけのことをして欲しい。」と訴えておられました。
本人と家族、それぞれの想いにズレがあると感じませんか?
私は病院時代から、こういった本人と家族の気持ちのずれを何度も経験してきました。
まず、末期がんを告知された患者本人は、「これ以上苦しみたくない」「痛みから解放されたい」という気持ちが根底にあります。
一方で、残される家族は、「死んでほしくない。少しでも長生きして欲しい」という想いが根底にあります。これは(少し厳しい言い方をすると)家族は自分達が悲しみたくないのです。その結果、家族が自分たちの想いを優先させることで、死にゆく人の気持ちに寄り添えないケースが多くあります。
そこで私はご家族に、施設側の人間としてお話をさせて頂きました。
・病院から余命宣告され、行える治療が無いと言われた以上、病院に居ても本人にとって何も良い事はない
・お父様は死を覚悟されているように見える
・治る見込みのないお父様に、「頑張って!」「死なないで!」は少し可哀そうです
励ましの言葉はいらない。死と向き合っているお父様の気持ちに、寄り添ってあげて欲しい
お父様の気持ちを分ってあげることが、最大の励ましになる
・本人は自宅を希望されているが、特殊な呼吸器を装着されているので、自宅では対応が難しいが、私の施設では対応可能
とお伝えしました。有り難い事にご家族に信頼して頂きまして、施設入所が決まりました。
呼吸器の搬入の手配や職員への操作研修、そして丁度スタッフの少ないお盆休み期間も重なってしまい、入所時期は2週間先になりましたが、その間、私は何度も娘様に連絡し、
・施設入所の時点で、お父様の様態が悪くなって、お話しもできなくなる事も考えらえるので、今のうちに、昔の写真などを見ながら、お父様と一緒に、これまでの思い出をシェアして、沢山「ありがとう」って言ってあげて下さい。
・もし万が一亡くなられた場合、その場に居なかったとしても何も悔やむことはありません。
看取りはなくなる瞬間を指すものではなく、本人との人生最後の期間に寄り添うプロセスそのものだから。お父様が安心して他界できるようにたくさん話しかけてあげて下さい。
と、アドバイスを送りました。本当に誠実なご家族様で、一つ一つ実践して下さったそうです。
その後、お盆前後より呼吸状態が悪化し、施設での対応が不可能となり、そのまま病院で看取る事になりました。そして数日後、ご逝去されたと病院から連絡がありました。
その後しばらくの間、私は、(きちんと看取れただろうか。余計なこと言い過ってしまったかな。)などと考えながら悶々とした日々を送っていました。
そして10日後、奥様と娘様がご挨拶に来られました。私はその時のお二人の表情が未だに忘れられません。多くの場合この様な状況では、うつむき加減の悲しげな表情のご家族に、神妙な表情で対応します。ところが現れたお二人は満面の笑顔でした。そして楽しそうに、お父様との病室での思い出を沢山話してくださいました。
病院側の計らいで、最後は夜も交代でお父様と同じ部屋で寝泊まりできたそうです。
お父様は、私どもの施設に来られなくても、病室で家族に囲まれながら支えられながら最期の時間を過ごされました。そして奥様の前で、目を閉じられました。
奥様から連絡を受けた娘様も、私のアドバイスを思い出し、「亡くなる瞬間に立ち会えなくても大丈夫、しっかりとお話しできたし。」と全く慌てなかったそうです。
私はお二人の満足そうな笑顔を見て、改めて終末期における看取りが残された人に与える影響力を実感しました。
死は人生の集大成です。死を迎えるための準備というのは、なにも葬儀の手配や終活などという現実の諸問題の処理だけではありません。死を迎えつつある時間こそ、本人の人生を親しい人が共に振り返り、お互いの心に深い絆を持つ絶好の機会なのです。
この機会を決して逃さないようにするために必要な事はたった2つ。
・「人はいつか必ず死ぬ」という事実と向き合い、そこから目を背けない勇気
・そして、自分の「悲しみたくない」という気持ちを乗り越え、死と向き合っている本人の気持ちに寄り添うこと。
「がんばって」「死なないで」という言葉は、死に向かおうとしている本人には負担となります。
「私は最期まであなたと共ににいる」という言葉をかけてあげて、あとは本人の気持ちに徹底的に寄り添ってあげて下さい。
そのような看取りの時間とそこで生まれた深い絆は、残された人の心に残り続けます。
またそれだけにとどまらず、その体験は、自分の「死」をも見つめ、そして自分らしく生きることを見つめなおすことに繋がるのです。
みなさん、今こそ怖がらずに「死」を見つめてみましょう。